木のちから

ストレスの克服法

現代人はやたらストレスという言葉を使いますね。
ストレスは馬鹿にしてはいけないとシタリ顔で他人にはよく言う人がいます。
でも、その人は実は人ごとで自分に深刻に降りかかってくるものだという危機感にとても乏しいんですね。

また一方では、ストレスに耐えるのはどこか美徳というか、高い精神活動のように思い込んでいる節が日本社会の底流にあるのも現状のようです。
特に、長く生きてきて成功者といわれる人ほどこの意識が高いとおもいませんか?
そんな人の著書には、私はこうして難局を打開したという言葉がいっぱい出てきます。
そんな偉い人の本を読んだり、講演会を聞きにいく人が世の中にはたくさんいますが、僕の少ない経験ではそんな人が気が付いたら、ストレスに痛めつけられて
仕方なく心療内科科などに通うようになって慌てていることが多いようにおもいます。

ストレスをかけるものをストレッサーと呼びます。

医師に指摘されて初めて自分をこんな目にあわせたストレッサ―(犯人)を知るのですが、それをなかなか認められないんですね。
なぜか? 職場の上司や会社の方針が犯人であることが多いからです。
ストレスに立ち向かうのと、受け入れるのはまったく意味がちがいます。
困難な仕事が原因なら、やれるところまでやって無理ならさっさと白旗を上げるか、周りに協力を求めたらいいと思います。
自分がいいところを見せようとする人は、自分で自分を痛めつけていることになります。
「自分だけ」で立ち向かって限界が来たら、身体が悲鳴を上げて心に反して機能を停止させてしまうんです。
慢性疲労症候群や心身症(うつ病)がその表れだと思います。
身体が、「頼むから休んでくれよ~!」ってお願いしているんですね。
受け入れるというのは、自分を痛めつけたのは〇〇だと認識して、そこから離れる努力をすることだと思います。
身体が悲鳴をあげるほど受け入れがたい〇〇からは、さっさと逃げるのが賢い選択だと思いますね